右耳の音

episode 4 「右耳の音」

まるで自分の体を
人と関わり合うための道具にしているよう

私は右耳が、少し聞こえにくい。

小学生の頃に繰り返した中耳炎が、耳の太鼓と言われる鼓膜を、それは頑固に固く仕上げてくれたみたいで。

ちっとも柔軟性をみせない私の鼓膜は、張りすぎた布のようにたわみもせず、いつもこもった世界の音を伝えてくれる。

とはいえ日常生活にも仕事にも支障ないし、なんだかんだ30年以上この体と付き合っているので、今さら改まって言うことなど何もないんだけれど。

もっといえば、生きていれば体のガタのひとつやふたつ、みんな抱えているものだとも思う。(でしょう?そろそろ肩腰が痛くなってくる頃でしょう?)
それに、身体や心の特徴的な部分だってひとつやふたつ、あるでしょう?

右で聞こえにくい時には、左の耳が支えてくれる。
よく聞こえなかった時は、聞き返せば何とかなる。

「え〜聞いてた今の話〜!全くもう!」
なんて声をかけてもらえるキャラに仕上げてくれたのも、私の右耳。

あらゆる処世術は、耳が聞こえにくいから身についた。

大いに役立つ私の「欠け」

聞こえにくいことに憂いはない。
むしろコミュニケーションの一役を担ってもらうくらいに、私はずるい。


最近、オープンイヤー型のイヤホンを買った。
これまで使っていたワイヤレスイヤホンが壊れてしまったタイミングで広告が流れてくるんだから、いよいよアルゴリズムが恐ろしい。

オープンイヤーなので、骨伝導ではない。
耳の穴は塞がないけれど、私の頑固な鼓膜を通して音が伝わるとには変わりない。

の、だけれど。

不思議。右耳から入る音がよく聞こえる。

これはイヤホンの効果なのか、私が単にそう思い込んで聞いているからかはわからない。でも、確かに左右差が少なく感じる。

こもって聞こえていた音楽も、クリアになる。
ベースやドラムの音が、前よりも形としてくっきり感じられる。

一気に音と近づけた感じがした。


科学の進歩はありがたい。
人々のあらゆる「欠け」を補い、「丸」に近づけてくれる。

バリアをフリーにしてくれる。

人を、ものを、社会を、存在するあらゆるものを近づけてくれる。

私、すごくクリアに聞こえてる。

「欠け」ていた私が、その部分が満たされていくのがわかる。

と同時に感じたのは、
「欠け」に出会えなくなること。

全部に言える。
できないことができるようになったときには、できない時には戻れない。
できるようになったことは喜ばしいのに、勝手に寂しさも抱く。

バリアがフリーになることは、
「欠け」が「丸」になることは、
「できること」が増えることは、
それを支える科学の進歩は、

人と人の、ものの、社会の距離を近づける。

それは果たして、寛容さを奪わないでいられるんだろうか。

できるようになると、途端に期待する。
聞こえるようになると、「もっと」と欲が出る。
環境がバリアをフリーにすると、助けがいらないと勝手に感じてしまう。
そう「見えている」だけなのに。

ずるくなる余白さえ、残らなくなる。

耳をテーマに差し出せばこの文章が仕上がるけれど、他にも私の「欠け」など数え出したらキリがない。日常で失敗している回数など、数えたくもない。

それを愛してくれるのもまた、人。

あらゆることで代替できる今だから
文明の利器で補うことができる今だから


必要なら丸にもなれる。それでも
私は人の「欠け」が好き。
口実にできるズルさくらい、あってもいいと思うの。

新しいイヤホンが届いて、
その快適さに感動した夜に。

画像
navibookという商品です。クラファンで購入しました✨
めちゃくちゃ音がクリアで、耳の穴の負担もなくて疲れない!
ノイズキャンセルがすごいぽいので、超絶騒音の中で会議とかしてみたい←

あとがき
あの、もちろんですがサラッと読んでもらえたら嬉しいです笑
軽度難聴一歩手前だよ〜なんて笑えない医療ブラックジョークをかましながら友だちと聴覚検査の練習をしていた学生時代を思い出します←
聞こえにくいを理由に、気になる異性との会話の中で「聞き返す」というコミュニケーションが自然発生したりするのはほんとありがたかったですね🫰

仕事もプライベートも成り立っているけど、ちょっと不便な私の右耳。
言語聴覚士を志すきっかけにもなった右耳でもあります。
そう思うと少し、愛おしくなります。
みなさんにもちょっと変わった、ユニークな、困った、煩わしい、そんな体の一部はありますか?

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