episode 1 「元気が出る色」
「黄色がいいな。元気が出る色だから。」
マスキングテープを貼る手を止めた。
2ヶ月後に控えたピアノの発表会の練習用楽譜。
弾く楽曲もレベルアップし、伴って楽譜も長くなる。
何枚も印刷された楽譜の裏を、マスキングテープでつなぎ止めていた。
娘の手には、好きなキャラクターのマスキングテープが3つ。
水色のもの、黄色のもの。模様はちがうけれどピンク色のもの。
娘は黄色を選んだ。元気が出る色だから。
元気が出る。
ピアノの発表会の楽譜の裏に貼るテープは、
「元気が出る」色がいいらしい。
おもしろい。
わずか10歳にも満たない子どもが、色から受ける印象を言葉で表現できるものなんだ。
他の色はどうだろう。この子はどんな印象を持つんだろう。
ただの興味本位で聞いてみた。
「水色はどんなイメージ?」
「うーん。なんか、なぐさめてくれる感じ。」
(なぐさめるって言葉を知っていたんだ…!)
「ピンクは?」
「ワクワクする感じ。はしゃいじゃう感じ!」
「青は?」
「寂しい感じ。」
どんどん出てくる、彼女の中の「色のイメージ」
こんなにたくさんの印象を持っていることにも、また一般的に言われる「色の印象」とそう大きく離れていないことにも驚く。
「紫は?」
「紫はねぇ…………」
……………………
しまった。
数えてみたらつい数十秒前ほどのことなのに。
娘が何て答えたのか、すっかり記憶の彼方に忘れてしまった。
あぁ。なんてこと。
記憶を取り戻したい。あの時娘はなんて言ったっけ。紫のイメージをなんて表現したっけ。
「あれ、さっき紫の時って何て言ったっけ?」
「えー?なんだっけ?はしゃいじゃう…違う、それはピンクだ。えー…」
思い出せない娘を前に、それでも「娘にとっての紫」を聞きたくて仕方なくて、とっさに
「今思う紫でもいいよ。紫ってどんなイメージ?」
と聞いてみた。
すぐ出るものだろうと思った。さっきみたいに。
「えぇ〜。うーん。なんだろう。紫…」
なかなか答えられない。
それもそうか。
だって私は、
「今思うものでもいい」なんて言いながら、その直前に
「さっきなんて言ったっけ?」と、”記憶を取り戻す旅”に送り出している。
いくら「今」と言ったところで、「さっき」に向かわせてしまったなら、
そこから引き返すのはどうやら難しいらしい。
娘は記憶を辿っている。
さっきは、なんて言ったかな。
言葉は、一瞬で印を刻み込む。
記憶から消え去ってしまったのにも関わらず、「そこにあった」と認識した途端、
見えない、消えたそれを追い求めて、人は縛られていく。
見えない印を刻み込む。
なんて厄介なんだろう。
知らないうちに印を刻み込み、知らないうちに私をそこに導いていく”言葉”というものは。
今日の私に刻むのは、どんな印か。
不意に刻まれた印を、私はどう扱うのか。
とらわれを手放すのは簡単じゃないけれど。
手の中にはいろんな色のテープ。
探す。選ぶ。見つめる。
私の「元気が出る色」を。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。
人生の決断は、ほんの小さな選択から。
あなたが今日、ほしい色は選べますか?