満月が見えるうちには

episode 3「満月が見えるうちには」

夜の脳みそが、いやに働く。
サーモグラフィーに映せたら、昼間には動いていない部分が、やたらと赤くなっているんだろう。

意固地になる3月14日23時56分
書き終える頃には、日付は超える。確実に。

それでもまだ、満月は浮かんでる。

満月が、見えるうちには。


これまで何度、約束を破ってきただろう。

自分との約束を。

例えば年始に始めた腹筋は、早3週間でヨガマットの出番は来なくなった。
頭の隅に「再開しないとなぁ」なんて思いながらも、手は足は、ヨガマットに伸びていかない。
くるくると丸められたまま、部屋の隅に立てかけられている。

私は、人間の意思を、脳みそ頼みのモチベーションとやらを、それほど信用していない。

自分が証明しているから。

一方で、人の行動は執着を見せた時にモチベーションを凌駕する、とも思ってる。

これだけは逃さない
これだけはどれだけ無理をしてもやり抜く
これだけは
これだけは

そういう、ねっとりした、しつこい、ちっともさっぱりしない、人間臭い、そういう執着は、
「それをやらざるを得ない」という束縛は、

約束を守れる私にしてくれる。

逃したくない、という気持ちは、果たして本当にプラスになりうるんだろうか。
それはただの利己主義なのか。
自己満足なのか。
表現によって誰かに良い影響をもたらすのか
そんなことを考えるつもりじゃなく始めたのがPRESENTでありこのエッセイだったんじゃないのか。

余白が大事。
それも知っているから。

がんじがらめになる

考えなくても良いようなことを、淡々とやったら良いことを、
左斜め上の不定期に出てくる頭痛と付き合いながら、
ぐるぐる、ぐるぐる。


破りたくない約束の根源は何かを探ってみる。

「表現の幅を広げる。」
「2025年は自分のやりたいことに割く時間を増やしたい」

そこで浮かんだPRESENTに、もっともっと向き合いたいと思った。

これは私の心を残す場所。
見たい人だけ、読みたい人だけが、立ち寄る場所。

その勝手な佇まいの一方で、私は「自己開示」の課題と向き合う。

これまで繕(つくろ)ってきた部分と。

もっともっと、立ち寄る人を信頼してみる。
自分の中の、本当は見せたくないような、きれいじゃないところも。
表現で昇華する。


その上で、

今一度ライティングに向き合う、という挑戦をする。
これまでとちがう、エッセイという表現の幅を広げる。

やったことない挑戦を継続する。

うん。ちょっとずつ整理されてきた。
眠気と闘いながらタイピングしている理由が、ちょっとずつ輪郭を見せる。

「月に2回、新月と満月の日に出すエッセイ」

これに、私は今、どうしようもなく執着している。

それは、

今一度ライティングに向き合う、という挑戦をするため。
これまでと違う、エッセイという表現の幅を広げるため。


……………

「あなたにとって」と書き出した文字を消す。
とても嘘っぽかった。
私は今、私のためにしか、このエッセイを書いていないはず。


でも、それでも。

勝手に立ち寄ってくれたあなたが、
ただ、何も感じなくても、何か感じたとしても、
執着があってもなくても、読んでくれたあなたが、

「まぁ悪くないね」「人間ぽいね」「深夜の文章だね」

なんて。何かしら思えるものになっていたらいいな。

Youtubeの「登録チャンネル」に、ララチューンの最新動画がアップされる。
ラランド単独ライブツアーか。行きたいな。

最後まで読んでくれてありがとう。
満月の見える3月15日1時05分筆了。
荒削りなままの文章だなぁ。
起きたら修正しよ。

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